2012年08月10日00:15
1954年頃≫
カテゴリー │屋台
こんばんは。
松江町の屋台は1949(昭和24)年新築。戦後浜松の第1号。
でも、彫刻のあちこちは未完成でした。
判っている範囲で、新築後1955(昭和30)年まで、彫刻が追加されています。
おそらく1950(昭和25)年か翌1951年頃に追加されたのが、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の鬼板と縣魚(げぎょ)。
ところで。
竣工時は明るい陽射しの中で撮影された写真がそれなりに残されていますが、「追加」された時は、撮っていなかった模様。
夜の屋台前の集合写真などで見るしかないのですね。
ところが、1954(昭和29)年に出版されている服部高義の『屋台集』。
こちらには、昼間の写真が掲載されていました。

とても几帳面な編集というか。
屋台の棟梁、彫刻師、金具師などがそれぞれの町ごとに掲載されています。
各組毎に1ページを割いていますからね。
これが公式のパンフレットじゃないこともまた驚くべき話。
で。
スサノオのオロチ退治が正面に用いられていた期間の、昼間に撮影された写真が、現在までのところこの1枚しかないのです。
大変貴重な写真・・・というわけです。
(拡大)

こうみると、なかなか見応えがあるじゃんか。
(善)
贔屓目にみてますが。
松江町の屋台は1949(昭和24)年新築。戦後浜松の第1号。
でも、彫刻のあちこちは未完成でした。
判っている範囲で、新築後1955(昭和30)年まで、彫刻が追加されています。
おそらく1950(昭和25)年か翌1951年頃に追加されたのが、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の鬼板と縣魚(げぎょ)。
ところで。
竣工時は明るい陽射しの中で撮影された写真がそれなりに残されていますが、「追加」された時は、撮っていなかった模様。
夜の屋台前の集合写真などで見るしかないのですね。
ところが、1954(昭和29)年に出版されている服部高義の『屋台集』。
こちらには、昼間の写真が掲載されていました。

とても几帳面な編集というか。
屋台の棟梁、彫刻師、金具師などがそれぞれの町ごとに掲載されています。
各組毎に1ページを割いていますからね。
これが公式のパンフレットじゃないこともまた驚くべき話。
で。
スサノオのオロチ退治が正面に用いられていた期間の、昼間に撮影された写真が、現在までのところこの1枚しかないのです。
大変貴重な写真・・・というわけです。
(拡大)

こうみると、なかなか見応えがあるじゃんか。
(善)
贔屓目にみてますが。