2012年08月31日01:28
町名の由来≫
カテゴリー │歴史
「松江町」という名前がこの町内に付けられたのは1925(大正14)年。
この年の5月1日に浜松市は「地籍整理事業」(ちせきせいりじぎょう)という事業を全市にて実施しております。
全市と言っても、この当時の浜松市域は1921(大正10)年の天神町村(てんじんまちむら)=現在の江東地区を編入してできた区域。
いわゆる「旧市内」ですね。
北は和地山町・中沢町、南は龍禅寺町・浅田町、西は広沢町・鴨江町、東は天神町・富吉町・・・の内側が当時の浜松市(町名は現行のもの)。
で、この時に「松江町」の地名ができた。
それ以前は「馬込」と呼ばれておりまして、現在の馬込町は「北馬込」と呼ばれておりました。
ほら。

この地籍整理以前は、市内のそこかしこに「飛び地」があったようで、現在の松江町区域にも、新町や寺島町や肴町や紺屋町などの飛び地が入り組んでいた・・・そうな。
飛び地だらけの上に、市街地が拡大して、今までの地名とは関係ない住民の結びつきが出来てしまったのでしょう。そこで、その現実に即した地名整理ということで、「地籍整理」を実施した・・・とされています。
その時。
東海道沿いの部分、松江町交差点から馬込橋までの大通り。馬込町方面へ向かう通りの東側。交差点から国鉄の地下道の間。そしてまぐさ通り沿い。
このエリアに新しい地名をつけたわけですが、馬込橋たもとの「見返りの松」「大鳥居の松」および馬込川。
・・・この風景にちなんで「松江町」となったというわけですね。
柄の平川屋さん旧HPより

木戸町より松江町方面を臨む。大正年間とのことですが、すでに松の姿はなく・・・。
(善)
しかし。
昔の人はセンスが良いといえばよいのか。
今の我々だったら、「松」と「川」で「松川町」と安易につけてしまいそう・・・。
この年の5月1日に浜松市は「地籍整理事業」(ちせきせいりじぎょう)という事業を全市にて実施しております。
全市と言っても、この当時の浜松市域は1921(大正10)年の天神町村(てんじんまちむら)=現在の江東地区を編入してできた区域。
いわゆる「旧市内」ですね。
北は和地山町・中沢町、南は龍禅寺町・浅田町、西は広沢町・鴨江町、東は天神町・富吉町・・・の内側が当時の浜松市(町名は現行のもの)。
で、この時に「松江町」の地名ができた。
それ以前は「馬込」と呼ばれておりまして、現在の馬込町は「北馬込」と呼ばれておりました。
ほら。

この地籍整理以前は、市内のそこかしこに「飛び地」があったようで、現在の松江町区域にも、新町や寺島町や肴町や紺屋町などの飛び地が入り組んでいた・・・そうな。
飛び地だらけの上に、市街地が拡大して、今までの地名とは関係ない住民の結びつきが出来てしまったのでしょう。そこで、その現実に即した地名整理ということで、「地籍整理」を実施した・・・とされています。
その時。
東海道沿いの部分、松江町交差点から馬込橋までの大通り。馬込町方面へ向かう通りの東側。交差点から国鉄の地下道の間。そしてまぐさ通り沿い。
このエリアに新しい地名をつけたわけですが、馬込橋たもとの「見返りの松」「大鳥居の松」および馬込川。
・・・この風景にちなんで「松江町」となったというわけですね。
柄の平川屋さん旧HPより

木戸町より松江町方面を臨む。大正年間とのことですが、すでに松の姿はなく・・・。
(善)
しかし。
昔の人はセンスが良いといえばよいのか。
今の我々だったら、「松」と「川」で「松川町」と安易につけてしまいそう・・・。