昔の法被

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ご無沙汰いたしました。


 あちらのブログ(浜松凧揚祭研究会)で出している戦前のパンフレット『凧案内』には、凧印と共に法被も描かれていました。
http://takoken.hamazo.tv/e3701859.html



 1929(昭和4)年または1930(昭和5)年と推定される『凧案内』より。

昔の法被

 凧は今と同じ三つ巴。




 なんと法被も三つ巴。腰柄に松葉菱。




 松江町が「松江町」の名前になったのが1925(大正14)年。

 それ以前は「本馬込」と呼ばれておりました。そして現在の馬込町は「北馬込」と呼ばれておりました。



 つまり、「松江町」の名前よりも凧印の方が古い、ということ。


 で、今も使用しているこの法被の図案には「松江」の町名入り。 

昔の法被

(白井家所蔵の戦前の法被、1998年撮影)


 だから、少くとも町名制定の1925(大正14)年以降の図案。

 そして、それ以前はどういう法被だったのか? という問いが生まれますね。




 凧印が三つ巴で、見返りの松やら大鳥居の松やらがあった町ですから。


 そんなに難しく考えなくても、大紋に凧印である三つ巴、腰に松葉・・・。


 まずはこの辺を思いつきそうなモンですわ。




 現在の一つ身の法被。
 昔の法被

 ここに大昔の図案が残っているんですね!!

 ・・・というわけではないような。



 凧印が三つ巴。町名が松江町ですから。

 そんな昔の記憶がなくても、それなりに思いつくであろう図案。



 昔の現物が出てくるといいなぁ。


                 (善)



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