2017年05月02日16:16
2017年4月23日(日)撮影。
会所に所狭しと置いてあった凧は、凧置場に移送されました。
次に凧が会所に帰ってくるときは、もう凧まつりが終わる時。
そう考えると、もう終わっちゃうのね・・・などと。
ひと通りの準備は、全て完了しております。
さて。
「東地区土地区画整理事業」という「都市改造」に巻き込まれた後の松江町。
旧来の住民がわずか20世帯。
新住民が約80世帯。
これが現在の松江町の実情です。
旧来の住民。
新住民。
元住民。
住民や元住民の関係者。
さらに帰省組。
こういう、様々な属性の人々によって、現在の松江町の凧揚祭は成り立っております。
逆に言うと、
東京などからの帰省組や元住民や、その関係者の「拠り所」としての「場」を、凧揚祭は提供しています。
そこに、マンション住民として2007年に新規転入された面々が、合流を始めています。
旧来の住民としては、変わり果てた町並みや、増えつつあるニューフェイスの流入に、仲間が増えることの嬉しさと同時に、一抹の寂しさを感じているはずです。
法被を着始めて間もない新住民は、祭そのものを勉強しつつ、自分の代からこの「輪」に入り始めた「遠慮」を感じられているかもしれません。
それぞれの、運命的な境遇の結果としての、現在の立ち位置があるわけで、どちらも正しい。
ただ、ひとつ言えることは、凧揚祭がなければ、絶対に出会わなかった人との関係が出来つつある、ということです。
凧揚祭という歴史的行事が、中断を繰り返しつつも約100年(推定)続いてきたこと。
これがなければ、あれだけの大規模な都市改造を経てもなお松江町が生きている、ということは無かったでしょう。
やはり、どんなことがあっても、我々の代で終わらせてはいけないんだなと、改めて肝に命じなければなりませんな。
帰省組のみなさん。
この時しか会わない親戚組の方々。
新旧住民&浜松在住関係者とともにお待ちしてますよ。
そして、凧場と中央で繰り広げられる凧印や法被や旗や提灯の風景。
これらすべてに再会できることを心待ちにしています。
2017年5月2日 松江町ともえ連組長。
17年4月30日撮影。
こちらも準備万端!
MMMY氏より、17年4月28日撮影。
17/5/2 待ってますよ!≫
カテゴリー │2017年
2017年4月23日(日)撮影。
会所に所狭しと置いてあった凧は、凧置場に移送されました。
次に凧が会所に帰ってくるときは、もう凧まつりが終わる時。
そう考えると、もう終わっちゃうのね・・・などと。
ひと通りの準備は、全て完了しております。
さて。
「東地区土地区画整理事業」という「都市改造」に巻き込まれた後の松江町。
旧来の住民がわずか20世帯。
新住民が約80世帯。
これが現在の松江町の実情です。
旧来の住民。
新住民。
元住民。
住民や元住民の関係者。
さらに帰省組。
こういう、様々な属性の人々によって、現在の松江町の凧揚祭は成り立っております。
逆に言うと、
東京などからの帰省組や元住民や、その関係者の「拠り所」としての「場」を、凧揚祭は提供しています。
そこに、マンション住民として2007年に新規転入された面々が、合流を始めています。
旧来の住民としては、変わり果てた町並みや、増えつつあるニューフェイスの流入に、仲間が増えることの嬉しさと同時に、一抹の寂しさを感じているはずです。
法被を着始めて間もない新住民は、祭そのものを勉強しつつ、自分の代からこの「輪」に入り始めた「遠慮」を感じられているかもしれません。
それぞれの、運命的な境遇の結果としての、現在の立ち位置があるわけで、どちらも正しい。
ただ、ひとつ言えることは、凧揚祭がなければ、絶対に出会わなかった人との関係が出来つつある、ということです。
凧揚祭という歴史的行事が、中断を繰り返しつつも約100年(推定)続いてきたこと。
これがなければ、あれだけの大規模な都市改造を経てもなお松江町が生きている、ということは無かったでしょう。
やはり、どんなことがあっても、我々の代で終わらせてはいけないんだなと、改めて肝に命じなければなりませんな。
帰省組のみなさん。
この時しか会わない親戚組の方々。
新旧住民&浜松在住関係者とともにお待ちしてますよ。
そして、凧場と中央で繰り広げられる凧印や法被や旗や提灯の風景。
これらすべてに再会できることを心待ちにしています。
2017年5月2日 松江町ともえ連組長。
17年4月30日撮影。
こちらも準備万端!
MMMY氏より、17年4月28日撮影。