歴史と伝統を
こんばんは。
2年ぶりの凧揚祭まであと数日。
組長という立場で思うところですが。
松江町は旧町内の中でも古い部類の町内です。
当然、練兵場時代も5日間時代も経験があり、さらにそのまえ、戦前をも経験している町内。
私の祖父(故人)も戦後間もない1952(昭和27)年に組長をやっていますが、松江町へ越してきたのは昭和の初め頃、生れは後道(うしろみち 現在の千歳町)だったとか。
「オラの初は天狗だった」と(何故か)誇らしげでした。
松江町も一度町名が変わっております。
1925(大正14)年に「松江町」と命名される以前は「馬込」と呼ばれていました(現在の馬込町は「北馬込」と呼ばれていました)。
松江町は「馬込」当時から三つ巴の凧を揚げていたことが記録に残っています。
つまり、「三つ巴」の凧も「ともえ連」の名称も、「松江町」の町名よりも古くから続いているもの ということになります。
戦争で中断して空襲で焼かれても、その伝統は数年のブランクがあったとはいえ、その都度復活され、凧印や法被は守られてきました。
祭りは時代とともに変わるもの。そりゃそうです。時間を経ても変わらないものなど厳密にはありません。
しかしながら、その核心部分。凧まつりとはこういうものだ、というそのところは、変化し続ける外部環境の渦中で、いかにして守っていくか。
いいかえれば、祖父母が生まれる前の時代から続く祭を、いかにして子や孫の代まで極力同じ形で続けていけるか、ということ。
現在の我々は、過去から未来への「つなぎ」としてあるんだと。
長い歴史と子供の世代を重ねてみたとき、改めて思うのであります。
(善)
戦後最初に新築した松江町の屋台。
1949(昭和24)年、5月1日。旧国道1号線(現152号線)松江町交差店東側にて。
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